11月初めに、中東カタールにある衛星テレビ局「アルジャジーラ」から「日本のストーカー対策」の取材を3日間受けました。
今迄テレビ取材を多く受けてますが、海外からの取材は初めて、撮影時、事務所の照明を全部消して、持ち込んだ照明機材でムードあふれる演出をしたり、撮影も事務所内に簡易レールを施いてカメラを移動させるなど、今迄の取材とは大分異なってました。通訳の方に聞いたら、カメラマンはドキュメンタリー賞を受賞したベテランだそうです。レポーターも質問時まず良く誉める、そして丁寧に取材。日本の取材のあり方とは大分違いました。
今回はドキュメンタリー番組としてステップの活動内容等が140か国に向けて放送される予定です。
放送は日本時間12月14日午前7時30分~、日本ではPCで
「アルジャジーラ・ライブ」
で検索すると見ることが出来るそうです。

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by npo-step | 2014-12-11 16:00 |  これまでの活動

私の加害体験記

加害者プログラムに参加中の方から、「私の加害体験記」を頂きましたので、
原文のまま紹介いたします。 (掲載・許可済み)

       「私の加害体験記」
 私は現在、妻と4人の子どもたちと別居中である。家族は今年(平成26年1月)私が昼寝をしている間に忽然と姿を消した。
以下は私が行ったDVと家族について、ステップに通いながらの気付き、変化、現在をまとめたものです。

 私は21歳で今の妻と同棲し、22歳の時に妊娠を期に結婚。23歳で長男をもうけた。長男は可愛かった。始めて体験することばかりで妻と3人で笑いの中で生活した記憶ももちろんある。しかしながら楽しいことばかりではない。趣味に没頭している時間に泣き喚けば、その都度中断しなければならず、私はイライラしていた。同時に妻との時間がなくなっていくことに対し、あたり所のない複雑な感情が芽生えていたことに気づき始める。そう、私は長男に嫉妬していた。妻は私が守るという強い愛情の裏に、許してくれるかもしれないと言う甘えがあった。私は妻に全面的に依存し自分を満たしていた。満たされない場合は怒りの対象を妻や子どもたちに向けていた。

 私のDVは妻にとどまらず、子どもたちにも及んだ。暴力や罵声、度を超えた注意、執拗に支配し拘束し、肉体的、精神的行為(ステップに通い、後にDVと発覚する行為も多数あり、無視や睨みつける、出た食事に手を付けない、威嚇行為等である。)ものに当たり、壊す、投げる、叩く、蹴る、浮気、私は一途に愛情を向けてくれる妻や子どもたちを裏切り続けた。

 私は「怒り」を妻や子どもたちのせいにした。「言うことを聞かないからこうなるんだ」「お前たちが悪いんだ」他にも「なぜこれができないんだ」「なぜ言うことを聞かないんだ」と思っていた。

 私たちは平成18年、長男と長女(次男が生まれたばかり)を行政保護された。教育、躾と思っていた行為は紛れもない暴力であり、妻が悩んでいることにさえも目を向けなかった。私は子どもたちに必ず迎えに来ると約束した。保護期間は3ヶ月であった。

 定期的な児童相談所の面会等を受け、保育園にも通うようになり、私達は近所の夫妻などと付き合いが持てるようになってきた。子どもたちも友だちができ、しかし、だんだんと監視されるような生活が煩わしくなった。一時的におさまっていたDVが徐々に出始めた。

 平成18年妻がシェルターへ入った。1週間ほどで出てきたが、私は変われることができなかった。その後も家族は常に私との生活に怯えていたのだろう。私はなるべく、なるべくと思って生活をしていたが、今思えば支配の仕方を変えていただけなのかもしれなかった。私達家族は会話が少なかった。いや、私が彼らの問いかけに答えなかったという方が正解かもしれない。

 私の支配は子どもたちにも大きなマイナスの影響をもたらした。褒めることをされない子どもたちは自分に自身が持てずに、周囲と比較して自分が劣っていると思い込む。私の行為は子どもたちから自信を奪ったのだ。私はもう、家族との接し方が分からなくなっていた。見るもの、聞くもの全ての対応がうまくいかない。(私にはDV意識があった)どうしていいのか分からずに見ない、聞かない、喋らないと家族の中で孤立する方法を選択した。これ以上家族に対し、危害を加えたくない、そんな思いからの当時の私のできる最善の選択であった。
平成26年1月家族は再び私の元から姿を消した。来る時が来たという思い、開放感、虚無感、絶望感、不安感、恐怖感、孤独感である。当時を振り返り、妙に冷静さがあったのを覚えている。

 私は翌日からDVについて調べ、法的な窓口や、無料相談電話などを頼りに相談し自分が置かれている状況を理解しようとした。そうすれば次のやることが見えてきそうだと思ったからだ。そんな時に出会えたのが「ステップ」だ。メールの連絡で初回の面談をしたのを覚えている。2月から通い始め。9ヶ月、40回を超えてすっかり古株となってしまった。様々な環境のなか前進している仲間たち、支え励まし合う仲間たちがそこにはいた。

 先を行く先輩たちに焦りを感じる時もあった。夫婦で学びの実践をして報告してくる仲間たちに羨ましさを感じる時もあった。孤独に苛まれ自分を見失う時も合った。そんな時、焦ってはいけないと自分に言い聞かせてきた。

 私が自分の変化に気付き始めたのは5月のGW頃、連休の中で映画を見たり、銭湯へ行ったりして自分の為に楽しんでみたのがきっかけであった。自分を満たし始めてどん底の期間に終わりを告げた。コンサートや音楽、映画、食事と自分を満たすことに集中した。

 私はステップに通い始めてまず、「怒りは誰のせいではなく自分自身の選択である」ということを学んだ、これがステップでの学びの全ての基礎となる。そして、傾聴や、受容などといったコミュニケーションの方法を学んでいる。今まで自分がいかに間違ったことをし続け、無駄なことに時間を費やしてきたかが嫌という程わかった。しかしながら時間は取り戻せない。反省はできても後悔はできないのである。

 私はこのような環境になってから日記をつけ続けている。「学びの内容」や「自分の生活の様子」「妻への褒め言葉」「今までのやりとり(You&Iメッセージ)」を1日1ページまとめることを今でも続けている。初めは実践のシミュレーションのつもりでやっていた。現在ではそのノートは5冊を超えている。そしてその5冊のノートは色々な手段から全て妻の手元にある。

 私達は2度の調停を不成立で終了した。私は離婚を主張する妻を受容せず、「連絡を取り合える別居」にこだわった。学びを受けておきながら受容をしなかった自分に対し、ずっと重たいものを感じていた。しかし「受け止める」でも良いと学んでから心がすっと軽くなった。そして今では連絡を取り合え、妻や子どもたちとも月に数回、会える環境となった。妻を受け止めた上で自分の気持ちを信じて「良かった」と思っている。そして何より妻を相手に学びの実践ができていることに喜びを感じている。傾聴や受容(異なる考えには違いの交渉)Iメセージ、リフレイミングなどノートでシュミレーションしてきたことが始めて身についていたんだと実感できた瞬間であった。妻は学びの共有が楽しく、幸せを感じれるとまで言ってくれた。

 こんな私達ではあるが、次の方向性は決まっていない。時間をかけて話をし、じっくりと決めて行きたいとお互いが思っている。そして次に妻が出した結論なら、選択した答えなら、その時は受容してあげられる自分でありたい思っている。

●加害者側に立つ多くの皆様へ
・とことん落ち込んで下さい、そして「自分を責めて」下さい。
・どん底まで落ちたら、よく耐えたねと「自分を褒めて」下さい。もう自分を責めないで下さい。
・多くの時間を「待つ」ことに使いますが我慢してください。
・自分自身を信じて進んで下さい。
・家族を、パートナーを信じてください。
                           K・K 36歳(男性)

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by npo-step | 2014-12-04 17:25 |   参加者・体験談、ほか

12月2日、東京・杉並区役所で、DV職員研修を行って来ました。
研修は、DVの現状や基礎知識、DV被害者の実態、
窓口におけるDV被害者への適切な対応です。

研修内容は、
1.DVとは、
2.DV被害者の特徴
3.DV被害者への対応
4.DV被害者を守る為の加害者プログラム
5.DV被害者・加害者、対応後の変化・実例、

多くの方々が出席して下さり、
研修終了後、関係部署の方々から多くの質疑応答がなされました。
更に、参加者の中から、
DV加害者更生プログラムの出張講座を開いてほしいとの要望が有りました。
関係者の関心の深さを改めて知った研修会となりました。

         (研修会場の様子)
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by npo-step | 2014-12-03 08:25 |  これまでの活動